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2013/12/19

報告:哲学カフェ「死はなぜこわいのか」


三浦です。
先週の土曜日にカフェティグレで行なった哲学カフェの報告を進行役の安田さんに書いていただきましたので、代理で投稿します。
 
おかげさまで、2013年最後の名古屋の哲学カフェは、17人という過去最高人数の参加者を集めて1214日(土)、無事盛会のうちに終了しました。17人中9人は初参加組、3人は二度目のリピータで、男女比はほぼ半々、学生から年輩の方まで幅広い年齢層の方々がご参加くださいました。また、哲学カフェ(AM10:00 11:30)後のランチタイム(今後のプラン検討と交流の時間)にも大半の方が残ってくださり、熱気とはいかないまでも、多少高めの温度で散会となりました。人数や熱気が目的ではないことはもちろんですが、正直、嬉しくないわけはなく。もうこれだけで一年の最高の締めくくりとなりました。

さて、テーマは「死はなぜこわいのか」。詳細説明は省きますが、これは実質的に三浦さん発のテーマなので、三浦さんが自由に自分の思いを発言できるように、進行は別人がよいだろうということで、不肖安田が務めさせてもらいました。

全員の簡単な自己紹介のあと、三浦さんのほうから自身の思いを少し詳しく語っていただきました。「自分にとって死が怖いことは昔から自明のことだったのに、なかなか周りの人には真に受けてもらえず、なぜみんな平気なのかが逆に不思議でしかたなかった」「(死を怖がらずに生きているということは)『逃げて』生きているということではないか、とすら思ってしまう」という話でした。この問いかけを起点に、当日の対話では興味深い思考の連鎖反応がいくつも生まれたように思います。私の独断で大きくまとめて報告させていただきます。


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■「社会が死の現実(のこわさ)を遠ざけている」説

三浦さんの「逃げているということでは?」という問いかけに対しては、社会がそれを強いている側面がある、という指摘が出ました。「今日生きている人は明日も当然生きている」ような前提が(少なくとも日本では)社会制度に組み込まれている。こうした「生の前提」のうえに成り立つ社会生活を営むことで、私たちは日々死から目を背けることになる、そういうしくみになっている。そんな意見です。また、多くの人が、これはよくないこと、と考えたようです。普段から死について考え語ることを、生活の中に取り込んでゆくべきだ、と。でもなぜそうすべきなんでしょう。進行役として質問すればよかった。いつも後から思いつくのです。。。

■「死は本当はおそれるものではない」説

一方、目を背けず考えた上でも、死はおそれるべきものではない、という意見も出ました。詳細は割愛しますが、論旨の核は、死で「自分」が無くなるわけではない、ということでした。「生と死」=「(自分の)有と無」ではない、ということです。ここですこし、「生死」そのものの正体に議論が向いかけたと思います。

■ 種の保存本能説

一方、「死は恐れるものではない」という説明を、死の恐怖を克服しようとする人間の知的努力の産物とみなす意見が登場し、議論はまた新たな展開をみせます。曰く、恐怖によって生物個体たちは死に至る危険行動を避けるようになるわけだから、死の恐怖は(心をもった)生物に遺伝的に備わった種の保存本能メカニズムとも考えられる。と。

■ 掘り下げ質問。「一体『何』をおそれているのか?」

さまざまな意見が出た終盤、ある方が問いかけました。「死なるものを恐れているとき、具体的に私たちは『何』を恐れているのか?自分の肉体が死してやがて消え去ることか、それとも、自分を知る人々の記憶から自分が消え去り、自分の生きた社会的痕跡がなくなることか」、と。それに対して若い参加者の方が答えて曰く、「自分が恐れるのはそのどちらでもないと思う。考え、経験する主体としての『自分』というものが消えてなくなることが怖いのだと思う」。発問者はさらに思考実験で迫ります。「次の二つの『死』のうち、どっちが怖いか:① 肉体が死んで消え去り、魂だけ残る(つまり、主体としての「自分」は残るが、人々の記憶や認識からは自分はいずれ無くなる)。② 脳死になるが、なんらかの理由で肉体は残された人々によって保存され、自分の人生も語り継がれる(つまり、主体としての「自分」は無くなるが、人々の記憶・認識上では存在し続ける)」。自分は①のほうが怖い、という発問者に対し、先の返答者さんは②の方が怖いと答えていました。

このあたりで時間切れとなりました。振り返ってみれば、今回は人数は多かったものの、哲学対話というものへの期待値の揃った比較的均質な参加者構成だったと思います。意見は違えど、多くの参加者が互いの声を聞きあい応えあう、手ごたえのある対話になっていたかと思います。こういう回はこういう回で素晴らしいと思いました。

いろんな振り幅、山谷含めて、来年も、哲学カフェの場で良き対話が生まれますよう。。。皆さんもよいお年をお迎えください。